#3
「椿、これからどこ行く?」
恋人には仕事が長引いているから会えないと言いつつ、私がいるのはあの人の車の中。
最後に会ったのはたった2日前なのに、あの背徳的な甘い時間が忘れられず、会ってしまったのである。
離れたその時から、この人の匂いは私の鼻にしつこく残り、射るような視線とは正反対の優しい声が頭の中に鳴り響いていた。
決して香水をつけているわけではない。他の人からしたら無臭なのだろうが、その微かすぎる匂いは、鼻というよりは頭の中に刻まれていて、思い出せそうで思い出せないような感覚が余計私をおかしくさせた。
相手はさりげなく私の顔のそばに唇を寄せてきて、それでいて私が唇を近づけると離れてしまう。
「どこ行くの?聞こえてる?」
あえて普段通りの表情で、何もなかったように言うから、変な期待をする自分がまるで愚か者のように思える。
「あー・・。じゃあなんか食べる?ご飯まだでしょ?」
「・・・。椿がそう言うならなんか食べようか。」
乗り気ではないのだろうか、急に冷たい口調になった相手に少し動揺する。
「う、うん。他に行きたいとこあったらそこいくけど。」
「・・・。」
無言の相手に、私も黙るしかない。
「ねぇ。」
赤信号で車を止めた時、苛立ったように私を見る相手に、困惑する。
「2日も待たせておいて、まだ素直になってくれないの?」
「えっ・・・。」
「俺と何したかった?」
「えっ、えっと・・・。」
この前みたいにおかしくさせて欲しいなんて、言えない。
なんだか言ってはいけない気がしたし、会ったばかりでそんなこと言われたら引かれてしまうんじゃないかと、私の理性が判断した。
相手の目は相変わらず、素直になれよと私を見つめる。
「えと、キスしたかった・・。」
うまく逃れようとする私に相手は噛み付いてくる。
「ふーん、じゃあ今夜はご飯食べて、帰りにキスして、そしてら家まで送るよ。」
え、私のこと欲しくないの?抱きたくないの?と言いそうになり、自分の発言がいかにエゴイズムで理性の欠片もないものか気づき、口をつぐむ。
相手がこんなに素直になることを望んでいるのに、自分にはできない。
欲望のままに欲しがればいいのに、それは美しくないと焦らすふりをしながら、自分で自分の首を絞めるのだ。